〈倶子オフィス〉このごろのわたし 33

June 2008

祇王寺・京都

世を捨て嵯峨の山里で仏門に入ったという白拍子祇王とその妹祇女の
ことはわたしの大きな気がかりでした。
(「平家物語」巻一)
祇王のこころをなぐさめたであろう風景はいったいどんな?

平清盛の寵愛が、やはり白拍子であった仏御前へと移ったとき、
祇王は館を出ていくことに……。祇王は忘形見にと襖に記します:

萠え出づるも枯るるも同じ野辺の草 いずれか秋に逢はで果(はた)つべき

ある日山里の庵の戸をたたく者があります祇王が出てみると仏御前でした。
剃髪した尼の姿をしていました。

 

笹百合:祇王と祇女とその母刀自、そして仏御前が……咲いている

  

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July 2008

小野篁の井戸

嵯峨嵐山駅で降り、落柿舎(らくししゃ)に行こうとしていました。落柿舎に行くのは十年
ぶりくらいでしょうか
なんか景色が違う違う道筋を歩いているたぶん迷ったみたい
です。大きなお寺さんの仁王門があります
〈まずは、落柿舎からだわ〉と思っている
わたしはその門を過ぎました。道なりに右へ折れて……歩いて行くとまた門が。
同じ敷地の西門でした。清涼寺と書いてあります。
〈そうね、またここまで戻るとしたら……いまお参りしたほうが〉門を入りました。
すぐ目のまえに小さな石の碑があります。 あっ

今回、三年ぶりの京都でした。あのときは「小野篁(たかむら)の井戸」を観たくて
六道珍皇寺に。篁は夜になると冥府に通った
閻魔大王の手伝いをしていたというのです
そこで知ったのは、珍皇寺の井戸は行くときで、帰りには平安京のはるか西、
嵯峨野にある井戸を通った……。
あのとき、嵯峨野の井戸を確かめるには時間がなくて、思いを残して上りの新幹線に
乗っていました。

目のまえの碑には「生(しょう)の六道 小野篁公遺跡」
あの井戸に連なる遺跡です。篁が帰還したのは福生寺の井戸からでしたが、福生寺は
廃寺になり、嵯峨薬師寺に統合された。薬師寺はそれから清涼寺の塔頭に。
〈あのときがつづいている……あのときのつづきをしている〉

それから巡りをはじめました。奥嵯峨の空気を吸って……先々では幸運だわと
思えるようなこともあり……。
そして〈さあ、嵯峨嵐山駅に向かいましょう。十年前のあの竹林の道を通って……〉

なのに、どうしたというのでしょう? 気がついて見ると目のまえにまたあの門、
清涼寺の西門でした
わたしはとうとう竹林の道を諦めてそれではと再び篁の
まえに行き
それから大覚寺に向かうべく境内を横切りました。
大覚寺では、「きょうは弘法大師がお生まれになった日です。稚児大師に灌沐して
お誕生日をお祝いいたしましょう」
花御堂がしつらえられています。稚児大師さまに丁寧に甘茶を注ぎ……。一方、わたしの
喉はカラカラで、参拝者のために用意されていた甘茶を、恥ずかしかったけれど
(他に人はいませんでしたから)三杯いただきました。夕暮れになっていました。

 

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