〈船木倶子・Essay〉

  わたしの詩は

    

 わたしの父・雄治郎は男鹿半島(秋田県)の船越に生まれている。かつては郡方御役屋が置かれていたそれなりの町である。
「狭え処には住めね(ない)」
 父は云った。

 そこから一里ほど離れた原野を父は開墾していた。戦後食料増産が叫ばれ日本各地で開墾が奨励されたが、父はその以前から。父の場合は戦争が始まる前から、樹木でからむ執拗な薮を開墾していた。昭和14年1月には召集されて北支(満州)へ向かったが、除隊してからも鍬ひとつの開墾は続けられた。後にわたしはそこで産まれた。ただ一軒である。むろん電気などあるべくもない。

 林檎の果樹園があり、土地は広々としていた。いくつかの小屋があって、そこでは生きものたちが飼われていた。かなりの数の七面鳥や孔雀、シャモやチャボ、そして鶏。緬羊や黒い山羊、黒い豚……。アーチ型の牛舎には「清春号」という牛もいたが、その牛たちでさえ乳牛や肉牛ではない。鶏だけは卵を得るためであったが、あくまでも父の道楽である。動物園のようだ、とわざわざ見にくる人もいた。家計のほとんどが飼料代に消えていった。庭を愛していて、敷地には沼や、家よりも高く土盛りされた土手があり、土手の位置は何度か変わった。

 父はひがな一日、庭をながめていた。そのような日、父に、
「松葉は痛い」と云ったことがある。
「……
生ぎでる松葉は痛ぐね(痛くない)」
 実際そのようであった。生きてるもののいのちはみなまろく、やわらかであった。
「すみれはいいね」
「……野生のすみれはいい」
 父は答える。それはふたりのまえの、残雪のなかに咲きだした一茎のことであった。その父のすべてがわたしだと想うことがある。父の想いがわたしに詩を書かせていると思うことがある。

                        「詩と思想」April '04

土手の裏で '67  

                  link - 父に連なる詩〈立ちどまる


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